megMar’s diary

見たり、聞いたり、考えたり、やってみたり

出力

出力とは、

ある装置・機構が入力を変換・処理して外部へある装置・機構が入力を変換・処理して外部へエネルギー・仕事を送り出すこと。また、そのエネルギーや仕事。例えば、発電機が提供する電力、オーディオ装置が出す音声、コンピューターから読み出す情報など。アウトプット。⇔入力

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記事を書くにあたって改めて調べてみると、こんな意味でした。

「アウトプット(出力)が大事」というのは色んなところで耳にする言説ですが、

もともとは入力された命令に基づいて機械が行う仕事のことを指すんですね。

脳や人間をここで言う「機構」と捉えれば、慣用されている表現にも納得です。

 

 

さて、このアウトプット、私は特に苦手としています。

 

 

とはいっても、体系立てられた状態で得た知識や技能を出力することはできます。

例えば学校教育を通して得る学習内容は、既に体系立てられていますよね。

数学の問題の解き方とか、料理のつくり方とか、実験の方法とか、、、

出力のレベルからすると、「取扱説明書を諳んじることができる」という感じ。

 

苦手なのは、読んだ本から得た知識を面白く伝えるとか、

何かの出来事を通して得た体験がどんなものだったのかを伝えるとか、

今自分がどういう気持ちでいるのかを伝えるとか、そういう類の出力です。

共通しているのは、自分の主観的な体験を表現するという点かな、と思います。

 

そういうことをスラスラと適切に出力することが得意な人は周りに割と多くいて、

(私が無意識にそういう人に憧れて好んで一緒にいるのかもしれない・・・)

真似できないなぁ~~と思うのですが、仕事柄出力を要されることが多いので、

そうも言っていられないなと、最近は出力を心がけるようにしています。

 

自分の内面を表現するのは少しハードルが高いので、

本から得た知識を他者に共有するというところから練習中です。

学生時代、身近にビブリオバトルがあったのですが、

当時の私は「読んでいる本を知られることは、内面を裸にされるようで恥ずかしい」

と思っていたので、全く参加していませんでした。

今になって、周りの人に共有することの面白さを知ったり、

やはりとても難しいということを再確認したりしています。

 

出力するとなると、どういうことが必要なのかぼんやり考えました。

普段使わないような知識を扱う、比較的専門的な本を共有する際の話です。

1 その本の中身をよく理解している

2 その本の話の中で、これを軸に話すと面白いというものを見つける

3 軸に合わせて話の導入を考え、その本で新しく得られる知識をうまく配置する

4 相手に合わせて、話の軸を変える

 

普段、私的な会話で軸をつくって話すということをあまりしないので、

ややこしい話をわかりやすく話すために着地点を意識するのが新鮮です。

また、私は「知らない事を知るの自体が楽しい!」と思って読んでいる本ですが、

それを共有する他者は、必ずしもそういう考えを持っているとは限らないので、

相手によって軸を変えるというのも大事なのかも…としみじみしています。

以前、件のビブリオバトルで、

環境問題を扱った本を、ミステリー小説として紹介した話に興味をそそられたことがあります。

そういうのも、面白い軸なんだと思います。

 

 

幼馴染に、「もっと情に訴えてくれないと、話が難しくてよくわからない」

と言われてハッとしたことがありました。ここ1年以内の話です。

それは中学時代の事について言われたのですが、そんな風に考えたことがなかったので、

中学時代から今まで気づかずにきてしまったということです。

最近、読んでいる本の話を色んな人にする機会があって、相手の反応から、

「人はそういう人間的なことに興味があるんだなあ~ふーん。。。」

と思う事が多かったので、そういう意味でも幼馴染の言は一理あると思いました。

人は自分とは異なる軸で物事を捉えているって感じられることにも、出力の面白みがあります。

 

 

本で読んだ内容にしても、体験にしても、思っていることにしても、

出力しないとそれを持っているとは相手に伝わりません。

伝え方が下手でも、誤解を与えながらでも、伝えて初めてそこに何かあると認識されます。

察してもらえることに甘えずに、現状に甘んじずに、

伝えてみた方が面白いのかな、と思ったりする最近です。