変な服、変な人
昨日は今季初スノボ(人生3回目)に行ってきました。
吹雪の中のスノボは絶望感を味わうのに適した遊びでした。
何も見えない、疲れて立ち上がれない、昨年よりうまく滑れない…
「このままこの吹雪の中に座っていたら、この世から消え去ることができるのかな…」
みたいな悲劇のヒロイン風絶望感が似合う場所でした。
純粋に滑るのが楽しかったし、そんな静寂を楽しむ時間も楽しかったです。
私は服を買うとき、基本的に無難さを重視します。
おしゃれにあまりこだわりはなく、
着ていて変じゃなければ割となんでも良いと思っています。
服装にしても髪型にしても持ち物にしても、外見に関する事は全てそうです。
それが最近、買い物に行くと、
「なんか変な服ないかな~」とか思ったりします。
仕事柄それこそ無難な服しか着られないので、
なんか飽きた!という感じなのかもしれません。
先日それで変な服を買ってしまい、
「どこに着ていこう…でも着たい」という謎の葛藤があります。
人に関しては、もともと「変な人」が好きなようで、
特に何かの分野に特化している人の話を聞くのが大好きです。
大学が総合大学で、研究分野を超えて交流しようぜ!という団体に属していたので、
他分野の先輩たちとも交流を持ち、色んな「偏った」話を楽しく聞きました。
その中で好きになった人は、たぶんいわゆる変な人でした。
これまでにほんとに好きになったのはその人と、大学1年の頃の同級生だけです。
後者は田舎から出たばかりの頃に、そつの無い都会の優男性に耐性がなかっただけだと思います。
前者は周囲の人から無いわwwと言われる人でした。
共通の知人には、正しいチョイス(だが変)と言われたので私の中ではそっちを信じています。
研究分野に関する専門性の高い話は当然面白いですし、
その人の持つある意味偏った哲学が好きでした。
色んな意味で「人間的に正しく」あろうとしすぎている人だと思います。
だから好きなのですが、恋愛的な関わりによって彼の揺るぎなさが多少なりとも揺らぐので、
それが嫌でこれ以上は近づきたくない、と思ってしまいその恋は終わりました。
「変な人」を見ているとその行動一つ一つが興味深くて、
(これは単に好きだからかもしれないのですが、、、)
「全く相手に介入しない方法をもってして、一番近くで観察していたい」。
私の中の好きという感情はまるで実験動物に対する関心の在り様です…。
先日テレビに渋谷駅にご執心の准教授がでていて、
ご自身が作った渋谷駅の凝った模型を使って興奮気味に語ったり、
渋谷駅地下の貯水槽見学に興奮している様を見て、
「ふふっ」っと何だか好意的な感情を持ってしまい、
ほんと私って変な人すきだなあ~と思いました。
自分が平凡なので変なものに憧れるんでしょう。
いや、わかりません、自分が変だから同類がすきなのかもしれない。。
そこはどっちでも良いですが、
変なものが、変なひとが、世界を豊かにしているんだと思います。
みんなで変なものを愛でましょう。。。